どうも零時です。
最近「ジョーカー」の新作が公開されて盛り上がってますね。
ジョーカーを知らない人の為に簡単にあらすじを紹介すると
この映画自体はフィクションなんだけど、主人公の心理描写とか、実際の社会で起きている弱者の苦しみだとかを、リアルに表現しているんですよ。
アメリカじゃインセル、日本語に要約すると「非自発的独身者」つまり自力でセックスにありつけない非モテが、銃を乱射する事件が起きたりして社会問題になっています。
日本でも婚約者にフラれたって理由で、ジョーカーの格好をして電車に火をつける模倣犯が現れました。
映画の中では「インセル」が社会に打ちのめされた結果、暴走する過程がよく描かれています。
俺自身、今ではナンパ師だけど、元引きこもりで人に危害を加えてしまうかもしれないって理由で、公園の知らない人に挨拶をするってとこから始めたから、インセルが暴走してしまう仕組みもわかるんよね。
ってことで今回はジョーカーをもとに、インセルたちが恋愛において暴走してしまう仕組みについて考察していきたいと思います。
弱者を徹底的なリアルで描いた「ジョーカー」
ジョーカーという映画では主人公が人を殺しまくるので、もしかしたら生まれつき頭が狂ってるイカレ野郎と思う人もいるかもしれません。
しかし2019年に公開されたジョーカーにおいては、ジョーカーを仕事においても恋愛においても努力するけど報われず空回りしてしまい、その姿が滑稽だと嘲笑され絶望した結果、社会への復讐行動を犯した人物として描かれています。
犯罪者に対して性悪説か性善説どちらを取るのかってよく言われるけど、この映画では性善説を取ったうえで、社会の矛盾や本人の性質が社会に上手くハマらなかったってストーリーで描かれています。
ここがリアルな点で、日本で弱者が犯罪を犯してしまった例でも、虐待されて育った例や、逆に過剰な過干渉で育てられたって場合もあったり100%の性悪説で片付けられない面もあります。
当たり前だけど犯罪って犯した人間が100%悪いので、ニュースとかで明るみになった時にはそこに至るまでの過程がどんなものであろうとも叩かれるようになっているんですよ。
ジョーカーでは最初からえげつないことをするってより、善良な弱者が罪を犯すに至るまでの「過程」を丁寧に描いているので、よりリアルと重ね合わせてしまいやすい。
なぜインセルが恋愛できないのか
海外ではインセル、日本では弱者男性って言われる人間が引き起こした犯罪ってもれなく恋愛がセットになっていることが多いです。
インセルの語源になったエリオットロジャーはモテないってことが理由で銃乱射事件を起こしてしまったし、日本で起こったジョーカーの模倣犯の犯行動機は彼女にフラれた後、すぐ後にその彼女が結婚したってことでした。
作中でもアーサーが住んでいるアパートのシングルマザーに恋愛感情を抱くシーンがありますが、当然進展はなくそれどころか、女性とうまくいっているシーンはすべてアーサーの妄想で、実際はエレベーターで数回会話をした程度って描写があります。
この描写はインセルとか弱者における恋愛をうまく描写していて、女性にとってそもそもインセルとか弱者とされる男性って存在すら認識されることがなかったりするんです。
なぜなら現代じゃSNSとかネットが発達して魅力的な異性を目にする機会が多くなり、わざわざインセルとか弱者に目を向けることはないからです。
そして、こういった男性がいきなり女性と接触を図ろうとするとどうなるのか?
女性側からすれば、存在すら認識していなかった男性がいきなり性的好意を持ってアプローチするわけでただただ不快なわけです。
これって現代の日本でもよく起きています。
女性にとって、恋愛対象ではないただの話し相手、いわゆる「いい人」が突如恋愛感情をもって接してきた。
これって女性側からすればただの部屋にあるぬいぐるみが突如、性的意思をもってペニスをむき出させたように感じるので、
略して「ぬいペニ」現象なんていわれてたりします。
ですが拒絶された非モテ男性からすれば、思い切ってアプローチしたにもかかわらず、女性から拒絶されたことで自分の尊厳を大きく傷つけられ、自分が恋愛やセックスができない落ちこぼれか男のように思ってしまうんすよ。
ただ世の中では当たり前に恋愛やセックスを楽しめる男がいる中で、自分がどうあがいてもそこにありつけない絶望感が女性や社会への憎しみへと変換され、インセルと化してしまうんです。
インセルが恋愛市場に入るにはどうすればいいのか
インセルって、そもそも恋愛以前の友人関係だとか、そこに至る前の経験も不足していることが多い。
人との距離の詰め方が不自然だったり、友達のフェーズでいきなり恋愛感を出したり。
ジョーカーでも主人公のコミュニケーションのぎこちなさってうまく表現されていて、映画を見ている分には第3者の視点から見ることができるから違和感に気づけるけど、インセルが自分でそこに気づくのは難しかったりします。
そんな違和感に気づけないまま、恋愛の世界に入り込もうとするけど、普通の人間関係すらままならないので入り口の時点で放り出されてしまうわけです。
インセルが恋愛市場に入っていくうえで必要なのは経験不足の数を埋めることで、学校や職場ってもうすでに人間関係の土台が出来上がっている分、大勢の知らない人と人間関係とか恋愛の練習を積むことが難しい。
その穴を埋めるためにマッチングアプリだとかナンパとか、知らない人同士で人間関係の練習が大量にできる手段がいいと俺は思うんすよ。
まとめ
海外ではジョーカーのように、モテないってことが原因で犯罪だとかネガティブな行動を取ってしまう「インセル」が社会問題になっています。
日本はまだこういう事例は多発してはないけど、実際にジョーカーの格好をした模倣犯が表れたってことはインセル予備軍みたいな男が日本にも一定数いるってことだと俺は思うんすよね。
でもちょっと希望を持ってほしいのは、あの映画の時代設定って1980年代で舞台はアメリカなんよね。
80年代って今より恋愛の手段も少ないし、当然マッチングアプリなんてものも存在していなかった。
さらに言えばストリートナンパって文化は人口が密集している日本ならではの文化なんですよ。
要は今も昔も場所を問わず「インセル」って厳しい状況に置かれているけれど、日本だったら幸いそこから抜け出す手段って思ったより用意されてるってこと。
映画は映画として楽しんでリアルな場に出ていけるようになるのが一番いいのかと俺は思います。